中国ドラマ

中国ドラマ時代劇年表|人気作品はどの時代?日本史と比較

中国時代劇を見ていると、「これって中国のいつの時代?」「日本では何時代だったの?」と気になることはありませんか?

秦の始皇帝、唐の長安、明の紫禁城、清の乾隆帝――。

この記事では、中国の王朝と人気の中国ドラマを時系列で並べ、日本ではどの時代にあたるのかを年表で比較します。

見ているドラマが中国史のどこに位置するのか、まずは年表から探してみてください。

※年代は大まかな時代をつかむための目安です。史実をもとに脚色された作品も含みます。


年表

中国の時代・日本では代表的な中国ドラマ
戦国時代〜秦(紀元前4〜3世紀)
日本:弥生時代
『ミーユエ 王朝を照らす月』
『始皇帝 天下統一』
『コウラン伝 始皇帝の母』
秦末〜前漢(紀元前3〜2世紀)
日本:弥生時代
『項羽と劉邦 King's War』
『美人心計~一人の妃と二人の皇帝~』
後漢末〜三国(2〜3世紀)
日本:弥生時代末〜古墳時代初め卑弥呼の時代
『風起隴西-SPY of Three Kingdoms-』
『三国志 Secret of Three Kingdoms』
『三国志 Three Kingdoms』
南北朝(5〜6世紀)
日本:古墳時代
『蘭陵王』
『王女未央-BIOU-』
唐(618〜907年)
日本:飛鳥〜奈良〜平安時代初め
『長歌行』
『武則天-The Empress-』
『国色芳華~牡丹の花咲く都で~』
遼(916〜1125年)
日本:平安時代
『燕雲台-The Legend of Empress-』
北宋(960〜1127年)
日本:平安時代
『明蘭~才媛の春~』
『大宋宮詞~愛と策謀の宮廷絵巻~』
『夢華録』
明・永楽帝〜宣徳帝のころ(15世紀前半)
日本:室町時代
『永楽帝~大明天下の輝き~』
『尚食~美味なる恋は紫禁城で~』
『大明皇妃 -Empress of the Ming-』
明・15世紀
日本:室町時代
『女医明妃伝~雪の日の誓い~』
『成化十四年~都に咲く秘密~』
清・康熙帝のころ(17世紀後半〜18世紀初め)
日本:江戸時代
『宮廷女官 若曦』
清・雍正帝のころ(18世紀前半)
日本:江戸時代
『宮廷の諍い女』
清・乾隆帝のころ(18世紀)
日本:江戸時代
『瓔珞〈エイラク〉~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』
『如懿伝~紫禁城に散る宿命の王妃~』
『清越坊の女たち~当家主母~』
清末(19世紀後半〜20世紀初め)
日本:明治時代
『月に咲く花の如く』
中華民国初期(1910〜20年代)
日本:大正時代
『溥儀の料理番~紫禁城 最後の日々』

中国ドラマを王朝・時代別に見る

戦国時代〜秦|始皇帝が中国を統一するまで

中国では紀元前770年から諸国が争う時代が続き、紀元前221年、秦の始皇帝が中国を初めて統一しました。

『ミーユエ 王朝を照らす月』は始皇帝より前の戦国時代、『始皇帝 天下統一』『コウラン伝 始皇帝の母』は、秦が中国統一へ向かう時代を描いた作品です。

始皇帝は中国を統一すると、文字や度量衡などを統一し、各地を結ぶ道路網の整備も進めました。

現在、西安郊外に残る兵馬俑も始皇帝の陵墓の一部です。

同じころ、日本は弥生時代。

日本では水田稲作が広がり、各地に集落が形成されていました。

中国で巨大な統一国家が誕生し、始皇帝が大規模な陵墓を造らせていたころ、日本では弥生文化が各地へ広がっていた時代にあたります。

秦末〜前漢|項羽と劉邦、漢王朝の始まり

始皇帝の死後、秦は急速に弱体化し、紀元前206年に滅亡します。

その後、天下を争ったのが項羽と劉邦です。

『項羽と劉邦 King's War』では、秦の滅亡から「楚漢戦争」を経て、劉邦が漢王朝を築くまでが描かれます。

劉邦が建てた漢は、その後約400年にわたって中国史に大きな影響を与える王朝となりました。

『美人心計~一人の妃と二人の皇帝~』は、劉邦の死後、呂后から文帝・劉恒へと続く前漢初期が舞台です。

同じころ、日本は弥生時代。

日本では水田稲作が広がり、青銅器や鉄器が使われるようになっていました。

中国で秦が滅び、項羽と劉邦が天下を争い、漢という新たな王朝が成立したころ、日本では各地に「クニ」と呼ばれるまとまりが生まれていきます。

漢王朝のころになると、日本についての記録が中国の歴史書にも登場します。

『漢書』には、倭人が海の向こうに暮らし、多くの国に分かれていたことが記されています。

後漢末〜三国|曹操・劉備と卑弥呼は同じ時代

後漢末、中国では各地の有力者が勢力を争い、やがて魏・蜀・呉の三国が並び立つ時代を迎えます。

曹操、劉備、孫権、諸葛亮など、『三国志』で知られる人物たちが活躍した時代です。

『三国志 Three Kingdoms』『三国志 Secret of Three Kingdoms』『風起隴西』などが、この時代を舞台にしています。

同じ3世紀、日本では邪馬台国の女王・卑弥呼が登場します。

卑弥呼は239年、中国の魏に使者を送りました。

魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と金印紫綬などを授けられたことが、中国の歴史書『魏志倭人伝』に記されています。

曹操は220年、劉備は223年に亡くなっているため、卑弥呼が魏へ使者を送った239年より少し前です。

曹操や劉備が活躍した三国志の時代と、卑弥呼が生きた時代は同じ3世紀。

卑弥呼は、その三国の一つ「魏」と実際に外交関係を結んでいました。

南北朝|『蘭陵王』『王女未央』のころ、日本は古墳時代

三国時代の後、中国では統一と分裂を繰り返し、5〜6世紀には南北に複数の王朝が並び立つ南北朝時代を迎えます。

『王女未央』の舞台となる北魏は5世紀、『蘭陵王』に登場する北斉は6世紀。

同じ「南北朝もの」でも、二つのドラマには約100年の時代差があります。

北魏では仏教が盛んになり、現在の山西省にある雲岡石窟では、5世紀後半に巨大な仏像を含む石窟群が造られました。

その後、都が洛陽へ移ると、龍門石窟の造営も始まります。

このころ日本は古墳時代。

各地に大規模な古墳が造られ、ヤマト王権が勢力を広げていました。そして6世紀になると、朝鮮半島の百済を通じて日本に仏教が伝わります。

中国で巨大な石窟寺院が造られ、仏教文化が発展していた時代。

その少し後、日本にも仏教が伝わり、やがて飛鳥時代の寺院や仏像へとつながっていきます。

唐|『長歌行』『武則天』のころ、日本は飛鳥・奈良時代

618年に建国された唐は、都を長安に置き、約300年続いた王朝です。

『長歌行』は唐が成立して間もない7世紀、『武則天-The Empress-』は唐の第2代皇帝・太宗(李世民)の時代から始まります。

『国色芳華』は、それより後の8世紀の唐が舞台です。

このころ日本は、飛鳥時代から奈良時代へ。

日本は遣唐使を送り、唐の制度や文化を積極的に取り入れていました。

710年に都となった平城京も、中国の都城を参考に造られています。

8世紀には唐の僧・鑑真が日本へ渡り、奈良に唐招提寺を開きました。

同じ8世紀には、東大寺の大仏も造られています。

唐の長安が栄えていたころ、日本では奈良の都が造られ、遣唐使や僧侶を通じて中国から新しい文化が伝えられていました。

遼|『燕雲台』のころ、日本は平安時代

『燕雲台』の舞台となる遼は、契丹族が10世紀初めに建てた国です。現在の中国北部からモンゴル方面に勢力を広げ、宋と並ぶ大国となりました。

このころ日本は平安時代。

藤原道長や紫式部が活躍し、『源氏物語』が書かれたのも11世紀初めです。

そして11世紀、中国と日本では現在まで残る木造建築が相次いで造られました。

日本では、1053年に京都・宇治の平等院鳳凰堂が完成。

そのわずか3年後の1056年、中国では現在の山西省に応県木塔が建てられました。高さ約67メートルにもなる木造の塔です。

北宋|『明蘭』『大宋宮詞』のころ、日本は平安時代

北宋は960年に建国されました。

北方には遼があり、北宋と遼は長い間、同じ時代に存在していました。

『大宋宮詞』は北宋第3代皇帝・真宗の時代、『明蘭~才媛の春~』は北宋を背景にした物語です。

このころ日本は平安時代。

北宋の都・開封は、商業が盛んな大都市でした。

12世紀初めの開封を描いたとされる『清明上河図』には、城門や橋、船、飲食店、商店、行商人などが描かれています。

ドラマに登場する市場やにぎやかな街並みにもつながる、宋代の都市文化を知ることができます。

同じころ、日本の都は平安京。貴族を中心とした文化が栄えていました。

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明|『永楽帝』『尚食』のころ、日本は室町時代

明は1368年に建国されました。

第3代皇帝・永楽帝は北京に都を移し、紫禁城を造営した皇帝です。

『永楽帝~大明天下の輝き~』では、のちに永楽帝となる朱棣の生涯が描かれます。

『尚食』は永楽帝の時代から始まり、その孫で第5代皇帝・宣徳帝となる朱瞻基の時代へと続きます。

『大明皇妃 -Empress of the Ming-』も、15世紀初めの明が舞台です。

物語は1402年、第3代皇帝・永楽帝の即位から始まり、その孫で第5代皇帝・宣徳帝となる朱瞻基の時代へと続きます。

このころ日本は室町時代。

京都では足利義満が1397年に、現在の金閣寺(鹿苑寺)のもととなる北山殿の造営を始めました。

中国では、その約10年後の1406年に紫禁城の造営が始まり、1420年に完成します。

金閣寺と紫禁城は、ほぼ同じ時代に造られた建築です。

『女医明妃伝』も15世紀の明が舞台です。

第6代皇帝・正統帝(英宗)がモンゴル軍の捕虜となると、弟の第7代皇帝・景泰帝が即位します。

その後、英宗は皇帝に復位し、第8代皇帝・天順帝(英宗)として再び明を治めました。

『成化十四年』は、その次の第9代皇帝・成化帝の時代を舞台にしています。

日本では1467年には応仁の乱が始まり、その後、戦国時代へと向かっていきます。

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清|『若曦』『瓔珞』のころ、日本は江戸時代

清は1644年に北京へ入り、中国全土を支配する王朝となりました。

中国ドラマでよく登場するのが、第4代皇帝・康熙帝、第5代皇帝・雍正帝、第6代皇帝・乾隆帝の時代です。

『宮廷女官 若曦』は、第4代皇帝・康熙帝の晩年が舞台。

皇子たちが次の皇帝の座をめぐって争い、のちの第5代皇帝・雍正帝へとつながります。

『宮廷の諍い女』は、その雍正帝の後宮が舞台です。

さらに雍正帝の次に即位したのが、第6代皇帝・乾隆帝です。

『瓔珞』と『如懿伝』は、どちらも乾隆帝の宮廷・後宮が舞台です。

『清越坊の女たち~当家主母~』も同じ乾隆帝の時代ですが、舞台は紫禁城ではなく江南の蘇州。

宮廷御用達の伝統織物・緙絲(こくし)を作る職人や織物名家の女性たちが描かれています。

このころ日本は江戸時代。

康熙帝が即位した1661年、日本では第4代将軍・徳川家綱の時代でした。

乾隆帝が即位した1735年には、第8代将軍・徳川吉宗が江戸幕府を治めていました。

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清末|『月に咲く花の如く』のころ、日本は明治時代

『月に咲く花の如く』は、清朝末期の19世紀後半を舞台にしたドラマです。

主人公・周瑩は実在した女性商人をモデルにして、激動する清朝末期を背景に、商家の再建と事業の拡大が描かれます。

このころ日本は明治時代。

日本では1868年に明治時代が始まり、鉄道の開通や郵便制度の開始など、近代化が急速に進められていました。

中国では1894年に日清戦争が始まり、翌1895年に下関条約が結ばれます。

中華民国初期|『溥儀の料理番』のころ、日本は大正時代

清朝最後の皇帝・溥儀は、1908年にわずか2歳で即位しました。

しかし1912年、辛亥革命によって清朝が滅亡し、溥儀は退位します。

退位後も溥儀と皇族は紫禁城で暮らすことを認められ、1924年に紫禁城を退去するまで、宮廷生活が続きました。

『溥儀の料理番~紫禁城 最後の日々~』は、この清朝が滅亡した後の紫禁城を舞台にしたドラマです。

このころ日本は大正時代。

清朝が滅亡した1912年は、日本でも明治天皇が崩御し、明治から大正へ変わった年です。

そして溥儀が紫禁城を退去した1924年、日本では大正13年。ラジオ放送が始まる前年でした。

まとめ|中国ドラマの時代を年表で確認

中国時代劇には、戦国時代から秦・漢・三国、唐・宋・明・清まで、さまざまな時代を舞台にした作品があります。

『三国志』の時代には日本に卑弥呼がいて、紫禁城が造られたころの日本は室町時代。

中国史と日本史を同じ時間軸に並べると、意外なつながりも見えてきます。

気になる中国ドラマを見つけたら、ぜひ年表でその時代を確認してみてください。

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